エッセイにもたびたび登場、村長の“妹”、原田幸子さんが、祭囃子に誘われて来村し、「十七歳だった!」の感想文を村長宅の机の上にこっそり置いていかれました。十七歳の村長を間近で見ていたからこその思いが溢れる感想文を、ここに全文掲載です!
何年かぶりで「十七歳だった!」を読んだ。そしてしみじみ、原田宗典の、そして私の青春を振り返った。私は自分が、彼のこの作品に登場する愛すべき数々のエピソードに関して、証言できる数少ない人物のひとりであることを正直に嬉しく思う。

原田宗典の身内であること。

それは時に喜びであり、時にフクザツである。

私は彼のたったひとりの妹である。原田宗典の妹であるということで、社会的な価値が出てきたのはいつ頃のことだったろうか。ある時、友人と家族の話になって、「兄は作家なんだけど」と試しに言ってみた。「誰?」と聞かれて「原田宗典っていうんだけど・・・」と知っているかどうかちょっと祈るような気分で答えてみた。友人はすかさず「あ! 私の友達が大ファンよ」と返してきた。以来、私の周辺には“友達が大ファン”“姉貴が大ファン”という人が増えた。何故か、本人が大ファン、という人にあたらないのだが(多分、名前だけは知ってるけど読んだことがない、ということなのか?)、とにかく、兄の作品が広く愛されていることを知るのは身内として大きな喜びである。

そしてフクザツと感じること。それはいつも喜びと表裏一体である。私が原田宗典の妹である、と知ると「あー、あの宍戸譲を“獅子ドジョウ”と間違えてた妹さん?」とか、「小さい頃よくポカスカ殴られて泣かされてた・・・」とか、たまに言われる。こういう人はすごく記憶力がいいのか、はたまた兄の文章力が忘れようにも忘れられないほど鮮烈だったのか、常々「こんな可哀そうな妹に会ってみたいものだ」と思ってくれていたのか、理由はわからない。兄の作品をよく読んで下さっていることに感謝しつつ、ちょっとフクザツな気分ではある。もちろん父などは私以上に兄を自慢に思っているだろうが、彼の父だというと「あー、あのしょうがない・・・」と言われたことも一度や二度ではないだろう。

「あれはほんとにあったこと?」と純粋な興味で聞かれることもある。虚実を交えて創作することは小説家の宿命であるから、兄はこんな質問に対してはきっと答えないのだろうと思う。私も同様だが、「十七歳だった!」に関して言えば、胸をはって「ほぼ全面真実!」と言えると思う。こんな自意識過剰でナイーブでバカ一直線な高校生がかつて岡山に存在した、ということを、読者は一種のファンタジーのように感じるかもしれない。こんな十七歳はもう日本中どこを探したっていない。大人っぽくて、生意気で、おしゃれで、ススンでる十七歳ばかりだ。テレビゲームやインターネットやケータイの普及で、彼らは大人でも子供でもない、特別な領域、彼らしか住めない世界を作り出してしまった。ときに彼らが進んでこもる世界は他者を遮断する容赦ない場所である。大人たちは遠慮がちにこれら現代の十七歳を眺めるしか術はない。だから、十七歳のハラダ君は、大人からすれば自分にも理解可能な、それでいてもう存在しないファンタジーのヒーローのようだろうし、現役十七歳の諸君からすれば「かつてこんなバカがいました」と絶滅した種について学ぶようなものかもしれない。

私の記憶の中では、十七歳の兄はちっともバカなんかではなく、さして勉強もしないのに成績優秀な上にスポーツマンで、適度に不良でかつ大江健三郎なんか読んでいる文学青年で、かわいいガールフレンドがいて、そしてほんとうにおしゃれなのだった。当時岡山市立石井中学校二年だった私は、命がけで兄のおしゃれを盗もうとやっきになったものである。どう命がけだったかと言うと、毎日もらう昼食代の二百円のうち五十円使って菓子パン一個を買い、残りの百五十円をこつこつ貯めて悲願のリーガルのサドルシューズを手に入れるという具合だった。それから、アイビー風の三本ラインの靴下を買った時についている「VAN」のロゴ入り金具を兄に頼み込んでもらって、メモ留めに使ったりもしていたし、奉還町にあったブティック「VANNY」の紙袋はバック代わりにどこへでも持っていった。兄とガールフレンドのJ子さんは、陸奥A子のマンガに出てくるカップルのようでいつも私の羨望の的であった。

私は時々兄の留守中、彼の部屋に忍び込んで白い表紙の詩集をこっそり盗み読んでいた。そこには彼の青春の苦悩ときらめきがいっぱいにつまっており、特に恋愛に関する詩の数々は十四歳の私の胸をときめかせたものである。「君と海に行く日/雨が降った/君の涙のような・・・」といった調子で、連綿と愛の詩が綴られていた。当然、純粋無垢な私は、彼が“暴れん坊将軍”と格闘しながらこんな詩を書いていたとは露ほどもしらない。

しかし今思うと詩集を作ってるなんて、かつての十七歳とはかくも純粋でハズカシイ生き物だったんだなあ。それでも私にとって、兄はにくらしくもカッチョイイ存在としていつも私の行く手を照らす憧憬であった。兄の影響を受けまくっていた私は、もちろん日夜詩作に励み、りりィと高山厳と淺川マキを聴き、バッシュ(バスケットシューズを当時はこう呼んでいた)のかかとを踏みつぶして、喫茶「いりみて」に通い、「かもめのジョナサン」を読んだものである。岡山在住の十七歳男子はこうしてもはやファンタジー世界の住人と化してしまったが、同じ時代を生きた十四歳女子も同様である。セーラームーンも酒鬼薔薇聖斗も十四歳だが、考えてみるとこの頃は十四歳の定義すらずっと変わってしまった。十七歳ならばなおのことだろう。それを少々淋しく思うのは私ばかりではないだろう。

この作中に展開される数々のエピソードは、電車の中では決して読めないものが多い。身内であればなおのこと、その状況がつぶさに浮かんでくるからかなリアルに想像可能なだけにひときわ危険だ。「コンドーム秘話」に到っては、「そうだったのか・・・」と一人ごちてしまった。純粋無垢な妹が、当時の兄の危機に気づきようもなかったのは言うまでもない。

しかしである。私がこの作品の中で最も気に入っているのは、なんと言ってもタイトルなのである。

かつて十七歳だった現職のおじさん、おばさんは、このタイトルで思わず本書を手にした人も多いのではないだろうか。「十六歳だった!」でもなく「十八歳だった!」でもなく、ましてや「二十九歳だった!」でもない。「十七歳だった!」のである。それは十七歳を色んな場所で、色んな時代に、色んな状況の中で経験してきた人々にとって共通する事実であり驚きなのである。今三十三歳の主婦も、四十二歳のサラリーマンも、五十一歳の会社役員も、みんな十七歳だったのだ! 本書のタイトルは、忘れていたもっとも甘美で、もっともばかげていて、もっとも真剣だった時代を思い出ださせるかのように、私たちに呼びかけてくる。

現在の十七歳諸子も、やがて時が過ぎて就職したり結婚したり子供が出来たり失業したり親が死んだりする人生の中で、きっと一度は自分がかつて十七歳だったことを思い出す時が訪れるだろう。そう、「十七歳だった・・・」のではなく、私たちは「十七歳だった!」のだ。そしてそのタイトルが呼びかけるまま本書を手に取れば、ハラダ君とともに自分がどんな十七歳だったかを懐かしく思い出す旅にしばし出かけることができる。彼のガタピシいう自転車の荷台に乗って、あるいはダックスで自転車の彼を追い越しながら、あるいは早朝の旭川のほとりを彼と一緒にとぼとぼ歩きながら。


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