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さがや
岩波書店 編集部 坂本政謙様

今回は、先日出版された『醜い花』を担当された岩波書店の坂本政謙さんにお話を伺いました。「メロンを買いに」が一番好きと言う坂本さん。どんなお話を聞かせていただけるのでしょうか。
■大人の絵本を作りたかった
―― 坂本さんと村長との出会いは?
原田さんの本は昔から読んでいたのですが、最初にお会いした日付ははっきりしていて、皇太子と雅子さまのご成婚の日(註:1993年6月9日)です。まだ渋谷に事務所があった頃に、初めて訪ねました。今回の『醜い花』も絵本ですが、その時にも「大人の絵本みたいなものをやりませんか?」とお話ししました。
その五年後に出版させていただいたのが、『百人の王様 わがまま王』という本です。これが最初に形になった仕事です。
―― 「大人向けの絵本を作りたい」という思いがあったんですか。
ええ、ありました。文学にしろ小説にしろ、本が読まれなくなっていると感じていました。ある種言語表現の力が弱くなったのか、それとも他の、たとえば音楽や映画、ゲームでもいいですが、別の表現の力が強くなったのか、それはわかりませんけれども。そういう、言語表現の相対的な衰弱といえるような――なにしろ本に接するということ自体を体験しない人たちが増えているわけですから―――そういう中で、ストーリーは非常にシンプルなんだけれどもメッセージ性が強い、そういうものができないかなと思っていました。
―― 村長の作品と出会われたのは、いつ頃でしょうか。
僕が学生の頃だから、デビューしてすぐくらいじゃないでしょうか。『優しくって少し ばか』でした。よかったのはやっぱり、「優しくって少し ばか」というタイトルですよね(笑)。原田さんのセンスが発揮されているというか。これが最初の出会いです。
そのあと『スメル男』を読んで、「ああ、そうか」っていう風に感じて。その頃からずっと追いかけて読んでいましたね。
■耳から聴いた感じがよかった
―― 村長は最初、この本を朗読のためだけに書いていたということです。でもそこで坂本さんが「本にしませんか?」と、村長に話をした、と聞いています。坂本さんは実際にお聴きになって、そのように思われたのでしょうか。
そうですね。初めて朗読されたとき(註:2002年6月22日、世田谷文学館での『原田宗典アワーvol.3』)に聴きに行っていまして。そのときは地の部分を原田さんが朗読されて、台詞の部分を大谷さんと草野さんが読まれた。耳から入ってくる感じが、非常によかったんです。作品のよさを大谷さんと草野さんが引き出したのかもしれませんし、作品自体に元々備わっていた力であるかもしれません。耳から入ってくるものとして聴いたときに、とてもいい作品だな、と思いまして。これは本にしたい、と。
朗読が終わった後に原田さんのお宅に行って「ちょっと読ませていただけないでしょうか。貸してください」とお願いしました。原田さんは最初、こういう話をいくつか書いてから、まとめて本にしたいと考えていたようです。だから、「読ませるだけだよ」なんて、念をおされたんですけども。ですが僕は読み終わって、これにはひとつのものとして出版できるだけの力、魅力があるだろうと思ったので、「一篇で一冊の本にしませんか?」と言いました。ただ、文章量の問題からいって文字だけでは難しいので、絵をつけるのがいいのではないかということで、絵本にすることになりました。
―― 最初から絵本という形で、という話ではなかったんですね。
そうですね。まず最初に聴いて、これはひとつの作品としての力があるから、他の作品とまとめて埋もれさせるよりも、単独のものとして世に出した方がいいんじゃないか、という感じでした。
―― 耳から聴いたというのが、大きかったんでしょうか。もし文字から入っていたら、また違った形になっていたかもしれない、と。
そう思います。原田さんも朗読を意識して書かれたと思いますし、それがちゃんと生きた文章になっているということだと思いますね。
―― 聴いて、すぐに読ませてもらい、本にすることを提案された……。すごく動きが速いですよね。やはり感じるところが大きかったのでしょうか。
うーん、動きが速いというか(苦笑)、「これはいい」と思って。やはりこの仕事は、自分の感覚を信じてないとできないじゃないですか。でもその確信の根拠は何もないわけです。そう思った理由は何か? とか、根拠は何か? とか、その正しさとかはないんだけれど、そう思ったからもう仕方がないじゃないか、ということです。そういう風に思わせてくれる力が、この作品にあったということだろうと思いますし、そう思えたものを本にしなくては、編集という仕事をしていてもあまり意味がない、という気がしますから。
■「醜い花」をどう醜くなく描けるか
―― 絵についてですが、どういった経緯で奥山民枝さんに決まったんでしょうか?
「醜い花」と言ったときに、醜いものを醜いまま描かれても、それでは……というところですし、また、醜いものと言いつつも実は美しかったんだよ、というオチを絵で説明するのも、なんか違うでしょう。だから「醜い花」をどう醜くなく描けるか、ということが重要だったんです。
僕らのイマジネーションには限界があって、醜いものを想像しろと言われても、やはり想像しきれないんですよね。どこかで限界がある。そういうものを突き抜けて描ける、そういうイマジネーションを持っている方でないとダメだろう、ということを装幀の原研哉さんと話しました。原さんは、奥山さんの他にあと三人ほど候補を挙げてくださったのですが、実際に絵を見て、奥山さんが一番いいだろう、ということで決まりました。
―― 醜いというだけではなく、かといって、美しいというだけでもなく、不思議な感じですよね。装幀もそうですけど、今までの原田さんの作品にはなかった感じに仕上がっていますね。
そうですね。その絵を原さんが見事にレイアウトしてくださって、とてもいい本になったと思います。奥山さんも、頼んではみたものの、ほんとよく引き受けてくださいました。実は原さんも、「一枚でいいから描いてもらってくれ。一枚描いてもらえれば、あとは僕が何とかする」っておっしゃっていました。
―― そうだったんですか。どのようにお願いしたんですか。
原稿を送って、「まず読んでみてください」と。読んで気に入らなかったら、それはそれで仕方がありませんけども、「まずは読んで考えていただきたい」とお願いしました。ギャランティでみれば、奥山さんのような著名な画家の方にとっては全然お話にならないものであったのですが、いろいろとお話して最終的にはご承諾いただけたわけです。それもやはり作品のもつ魅力ということではないでしょうか。
―― 奥山さんの絵を見て、最初はどのように感じましたか?
僕は以前に別の画集を見ていたので、(本を指しながら)これよりももっとハードなものを想像していました。原さんは朝日新聞に掲載された、干刈あがたさんの連載小説に奥山さんが寄せられた挿絵と同じく鉛筆描きのものイメージされていました。ところが、これは奥山さんご自身もおっしゃっていたんですけれども、「自分の表現は、昔のあのタッチで描いてくれ、って言われても、今は描けない」らしんです。だから今回、どういう感じで仕上がってくるのかな? と思っていたんです。
最初見たときは、奇妙な感じと言うか、グロテスクな感じと、美しさと醜さのグラデーション、あるいは境界で描かれている、と感じました。僕らは、自分が遠ざけたいと思っているものに対して、実は一方で惹かれているという、相反する感受性があると思うんですが、そこを捕まえられたっていう感じでした。それがすごいところだと思います。
―― 奥山さんは谷川さんとの対談(「図書」2003年12月号収録)の中で、「真に『醜い』ということはあり得ないと思っているんです、この世界で。相対的に比べて初めて醜さっていうのが出てくるわけだから、一つぽんとあるものが醜いということは言えない。」とおっしゃっていましたね。
そうですね。奥山さんには「醜いものを描いて欲しい」ということはいっさいお願いしていません。「奥山さんが感じたように、好きなように描いてほしい」とお願いしました。「必ずしも物語に沿って、それに合わせて描いていただかなくてもいいです。奥山さんが文章を読んで『ここは描いてみたい』と反応する部分があれば、そこを自由に描いていただきたい」とお願いしました。
―― この対談はどういった経緯で実現したのでしょうか。
もともと谷川さんと奥山さんは以前から親しくて、奥山さんの『ゆらぐ/わたる』という画集の中でも対談されています。それに谷川さんもご自身で絵本を作られたり、海外の本の翻訳をされたりしているということもありましたので、『醜い花』がどういう広がりを持つ作品であるのかということについて対談していただきました。また、今回の対談では、谷川さんが奥山さんに「どういう世界観で描いているのか」「それが今回の『醜い花』にどう反映されているか」ということなどについても訊いています。
■英訳、音楽... さまざまな方向に広がる『醜い花』
―― 今回は英訳がついていますよね。
これは原さんのアイデアです。原さんの考えでは、日本語だけの表現という制約を越えて、表現としても普遍性を持たせたいということだと思うんです。もちろん、英語であれば普遍的か、という本質的な問題もあるわけですが、日本語だけに比べれば確実に、言語的には認識される幅を広がる。どこかから翻訳したいという話がくるまえに、こちらでやってしまえということで、川村和夫さんとWilliam I. Elliottさんにお願いしました。このお二人は谷川俊太郎さんの詩などを訳されている方で、キャスト的にはかなり豪華ですね。
―― お二人にお願いしようというのも、原さんからのご提案だったんですか。
いえ。誰にお願いしようかということを、奥山さんとお話ししたことがありました。奥山さんは谷川さんとおつきあいの関係からお二人をご存知で、その流れで「このお二人にお願いしてはどうか」ということになりました。
―― 翻訳については、何かお願いしたことはあったんでしょうか。
いえ、特にありません。谷川さんの詩を訳されていらっしゃるわけですから、私からなにか言うことなど何もありません。ただ、やはり絵本なので、川村さんは絵との相関関係を気にされていました。たとえば作中に「ニンゲンがふりおろした鋭い刃物が」という部分があるのですが、この“刃物”って英語でいろいろな言い方がありますよね。鉈みたいなものなのか、ナイフみたいなものなのか、川村さんから問われました。でも奥山さんの絵にはそういうものはないから(笑)。だからもうそういうことは気にしないで、川村さんのイメージで翻訳してくださいとお願いしました。
―― 今回の作品は、絵や英訳だけではなくて、さらに演奏家の野田晴彦さんが音楽も作ってくださったのですが(註:本には収録されていません)、坂本さんはお聴きになったことがありますか。
ええ、電話越しに聴かせていただきました(笑)。
―― 電話越し?
原田さんと電話で話していたときに「聴いてみる?」と言われて、電話越しに聴かせていただいたんです(笑)。
―― 絵、英訳、音楽と、さまざまな方向に広がりましたね。
そうですね。これもまた、この作品にはいろんな人を結びつけていく、そういう力があったということだと思っています。
―― 原さんの装幀もすごいですよね。見た目はとてもシンプルなんですが、実はページを袋とじにしていたり、いろんなところに原さんのこだわりがあって、手が込んでいますね。
そうですね。もうすばらしいとしか言いようがないです。
―― 手間も時間もかかってそうですよね。
すっごい、かかってます。コストにしても大変なものです(笑)。言い出すときりがないのですが、たとえばひとつだけ例を挙げると、箱にタイトルや著者名は文字を押しているわけです。本の場合は、そういうもののほかにISBNコードというものを数字とバーコードで入れなければいけない。だから最初、バーコードもタイトルや著者名と同じように箱に押したわけですね。だけども微妙なんですよ、同じようにやっていも機械で読み取れないものも出てくる。そういうのは流通上アウトなわけです。ではどうしよう、となったときに、シールを貼るしかありませんでした。となると、もちろんシールを作らなければなりませんし、シールを貼るのはすべて手作業なわけです。それだけでもう大変(笑)。あと流通で言うと、素材が白ですから、汚れや傷みがつきやすくて、流通上はあまり歓迎されないというか(苦笑)。だから書店によってはビニールに入れられて売られているところもありますね。
■「とにかく書き続けてください」
―― 坂本さんご自身が『醜い花』を読まれた感想をお聞かせ願えますでしょうか。
「僕らは、誰に断ってここにいるの?」というんでしょうか、自分の存在について考えさせられました。別に誰にも断ることなく勝手にここにいるわけですが。他の人はどうかわかりませんが、僕なんかだと、どこかに負い目があるわけです。それは何に対してとか、誰に対してとかではないのですが、そういうのがあるんですね。
―― コンプレックスとかではなくて?
違いますね。ここにこうして在ることに対する負い目のようなものがどこかにある。自分なんて、決していい人間ではないわけです。どちらかというと、かなり悪い(笑)。それでも、五体満足で、こうやってずうずうしく生きてしまってわけです。それなのに、なにをやっているのか……そういうことがどこかでひっかかって、この存在自体を反省する、ということもあるわけです、たまにですが。だからといって、なにも変わらないわけです(笑)。ただ、そんな負い目のようなものはある。こんな話をしたら、奥山さんに「ええ? やだわ、そんなの」と言われてしまったのですが(苦笑)、醜い花は赦されるわけじゃないですか、「ああ、俺は生きていてもいいんだ、ここに」と。そういう感じが僕にもありました。 “癒し”という言葉はあまり好きではないのですが、「ああ、そうか。俺もここにいてもいいんだな」って、赦される感じというのかな。それが非常によかったです。そこが僕には一番響きましたね。
―― 坂本さんとしては、この本をどういった方々に、どういう風に読んでほしい、というご希望はありますか。
いや、誰に、どういう風に、というのはないですね。どんなかたちであれ、この本に出会った人たちが気に入ってくれればいいと思います。そしてもしできれば、声に出して読んでいただきたいですね。あとは奥山さんのすばらしい絵を見ていただければと思います。本の絵もすごいですが、原画はもっとすごいですよ。「これ、本当に人間が描いたの?」というか、奇跡に近いというか、「ここには神が降りてきている」という感じですね。どうしたらこんな風に描けるんだろうと思います。絵をもう少し大きく出来たらとも思いますが、絵本のかたちを考えれば、やはりこれがベストでしょうか。
―― 最後に、村長に一言いただけますでしょうか。
とにかく書き続けてください。これまでの読者だけでなく、まだ原田宗典に出会っていない人にためにも、書き続けていただかないと困りますから。これから先、原田宗典に出会うべき読者が、たくさんいらっしゃるはずです。
2003年12月2日 収録





