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さがや
武者小路実篤記念館 伊藤陽子様、福島さとみ様

今回は、05年2月の読書講座を企画された、武者小路実篤記念館の学芸員のお二方、伊藤陽子さん(イラスト右)と福島さとみさん(同左)にお話を伺いました。
―― 村長が、記念館で読書講座を開講することとなった経緯をおきかせください。
伊藤:原田さんが実篤について発言されているのは、インタビュー記事などでだいぶ前から知ってはいました。原田さんも、実篤のことを気にしてくださってるんだなあ、と。人からの紹介で、実篤について書かれたエッセイも読んで、「こんなふうに思ってらっしゃるんだ、これはぜひ一度お話をきいてみたい」と思ったんです。
そこで03年の夏くらいに、「先生からみた、実篤の魅力などを講演していただきたい」という内容のお手紙を出したんです。おそるおそる(笑)。それまで、とくに接点があったわけでもなかったですので、「変な依頼がきたなあ」と思われないかな? なんて心配してましたね。
そしたら原田さんが、すごく喜んでくださったんですね。お電話いただいたときにも、いろんなお話をしてくださって。わたしもすごくうれしかったです。それが昨年1月の講演会(2004年1月24日「おれの武者小路実篤」)につながったわけですが、わたしたちとしては、もっと続けていただきたいな、と思ったんですね。そこで今回は4回にわたる講座をお願いしてしまいました。
―― その4回の講座を終えてみて、いかがでしたか?
伊藤:まず申しわけなかったのが、今回応募が多くて、やむなく抽選とさせていただいたことです。その反応の大きさには、わたしたちも驚きました。
それから、通常の講座のときとは、いらっしゃる方の層が少しちがう。年齢もそうですが、興味の方向もちがう方がかなりいらして、そういう意味では、より広く興味をもっていただくきっかけになったかな、と思っています。
福島:毎回みなさんにメッセージカードを書いていただくんですが、みなさん表現が豊かなんですよね。実篤を自分の気持にひきつけたり、原田さんの言葉に対して自分自身の表現で返そうとされてたり。すごくすてきだなあ、と思いました。メッセージカードでキャッチボールができたような。
伊藤:ビビッドな感性、心の揺れを、メッセージカードに書いてくださった方も多かったです。そういうことってふだんはあまりないんですが、今回は講座をとおして、そういう雰囲気がつくれたということなんだと思います。
―― 最終講座を見学させていただきましたが、みなさんの朗読もお上手ですね。
伊藤:それは、原田さんの朗読に引っ張られた部分もあると思います。過去3回の講座で、原田さんや役者の方たちの朗読をきいて、朗読って表現次第ですごくおもしろくなるものなんだということを肌で感じて、刺激を受けて。積極的に表現しようとされてましたね。
福島:前回は、うちの伊藤も朗読したんです。原田さんは、ご自身のことを朗読の「セミプロ」っておっしゃっていました。役者の方たちがプロで、原田さんがセミプロ、そして伊藤が素人、と(笑)。最初に朗読の魅力をプロの方に示していただいて、段階を踏みながら自分たちにもできるんだ、というところまで垣根を低くしてくれた。だからみなさんもがんばってくださったのかな、と思います。
伊藤:表現すれば、表現しただけの効果があるってことを、頭で考えるよりもまず感じていただけたのではないかと思います。それに、最終回にはみなさんにも朗読していただきますということは原田さんも何度もおっしゃっていたし、こちらからも通知していましたから、参加された方はみなさん「やるぞ」って思いがあったんでしょうね。
―― おふたりの、武者小路実篤との関わりは?
伊藤:とくに実篤ファンだったということではなくて、ふつうに本が好きで読んでいるなかで、高校生や大学生のころに、作品に触れていたという感じですね。縁あってこの記念館に入って、お仕事として実篤と向き合ってきたわけですが、いまでも「ファンか?」と問われるとなんと答えていいのか……。人物や作品にずーっと向き合っていたら、もう好きとか嫌いとかを通り越してしまいますね。一種、リズムみたいなものになっているんです。説明しにくいのですが。
福島:わたしの場合も、記念館でお仕事として、はじめて正面から向き合いました。ただ、生前の姿を見る機会が幼いころに何度かあったものですから、その存在は本を読む前から知っていました。当時から、「大先生なんだ」という認識だったと思います。
お仕事として関わるにつれ、原田さんもおっしゃってましたが、懐の深さや前向きな姿勢といった人間性の部分で共感をおぼえました。伊藤がリズムと言いましたが、なんというか、近所にいるおじさんで、ファンではないけど、どこか気になる人、という存在になっていますね。常に身近に感じて、そう感じていること自体はいやなものじゃなくて、ある意味では心地よい存在といいますか……。
―― 村長が、よく言っていたんです。「実篤について語れる場所・人を見つけた!」と。それがこの記念館であり、おふたりであったわけです。ですからおふたりのことを、どれだけの実篤ファンなんだろう? と想像していたんですが、ファンというのとはちょっとちがう?
伊藤:ちょっとちがうと思いますね。大分類して、好きか嫌いかでいえば、それは好きなんでしょう。でも憧れるとか、ファンだとかとは、ちょっとちがう。長い間向き合ってきましたから、もちろんとても大事な存在ではありますが。
昨年、原田さんもおっしゃっていたんですが、「実篤の話をこんなに濃く語れるのは、ここだけだ」と(笑)。わたしたちとしても、実篤についてあれだけうれしそうに、しかも幅広く話していただける方にはなかなかめぐり会えるわけではないですから、お互いに「ああ、こんな話し相手がいたのだな」と思っているのではないかと。
―― 講座をとおして、おふたりにとっての新たな発見はありましたか?
伊藤:原田さんがお話しになる実篤のエピソードや作品について、わたしも福島も、情報としては知っているわけです。ですがそこに原田さんの視点が入ると、Fresh(=新鮮)な発見があります。New(=新しい)ではなくて、Freshな。「あ、こういうとらえ方があったんだ」とか、「この作品はこういうふうに人の心に響くんだ」とか。
福島:60を超えた実篤が、志賀直哉との友情を書いた「志賀と僕」という詩があるんですが、それを原田さんが朗読されたのを聴いていて、ほろりと涙が出てしまいそうになったんです。そんな気持になったのも、新しい発見でした。この詩なども、日ごろ仕事でよく用いるんですね。活字で読んで、展覧会などで紹介してきたにもかかわらず、いまになって泣けてしまった。「泣けちゃったよ! これは『原田効果』だ!」と思いましたね(笑)。
伊藤:やはり原田さんは、書き手の側からアプローチされるんですね。そこでFreshな発見というものがあるんです。たとえば最終講座のはじめにも、「実篤の詩には、声に出して読むために書いたものと、黙読するために書いたものがあると思う」とおっしゃっていましたね。実は、声に出して読むための詩を実篤自身が集めた詩集が存在するんです。そういうことはご存知でなくても、原田さんは書き手として読むことでピンとくる。わたしには書き手の側からの視点はないですから、そういうところで勉強になります。あるいは、読んでいたけど見逃していたことに気づかされたり、即物的にも勉強になっています(笑)。
―― これを機に、みなさんが実篤の作品に触れる機会がもっと増えればいいですね。
伊藤:もちろん、原田さんの講座を経て、今後読んでくださる機会につながれば、いいですよね。でも、たとえ次につながらなかったとしても、この場だけでも、いままで知らなかった、思ってもみなかった武者小路実篤の文章の魅力を知っていただけたのではないかと思っています。それだけでも、すごく意味のあることですよね。
2005年2月26日 収録





