原田宗典 作品リスト

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さがや

新潮社 小林由紀様


今回は新潮社の「小説新潮」編集部で村長の担当をしていらっしゃる、小林由紀さんにお話を伺いました。

―― 村長と初めて仕事をしたのは、いつ頃でしょうか。

3年ぐらい前でしょうか。最初に「小説新潮」の平成14年8月号用に「夫の眼鏡」をいただいて、11月号に「ただの一夜」をいただきました。その後、「劇場の神様」刊行記念のグラビアでも、仕事をさせていただきました。

―― 今回、小林さんにインタビューをさせていただいたのは、「劇場の神様」が舞台化されるということもあるのですが、村長曰く「小林さんは本当に作家のことをよく考えてくれる」と。

そうなんですか? そう言われているということが、意外というか(苦笑)。私、結構ぼやっとしている方なので、そう思っていただけているということに、ちょっとびっくりしました。うーん。でも同じ興味、同じ感覚で話ができるというのがあるのかもしれません。もちろんそれは原田さんの懐の深さがあってのことですけれども。

―― 村長と初めて会われたときの印象は、どのようなものでしたでしょうか。

写真や記事などで拝見してはいましたけれども、ホントはどういう方なんだろうと、ずっと思っていました。すごく強いけれども、ナイーブな小説を書かれる方なので……。実際にお会いして、身体が大きいのにもびっくりしましたが、静かにお話を始める方だな、というのが印象的でした。

その話し方が、昨日今日初めて会った人に対するものではなくて、原田さんが普段から思っていることや最近読んで面白かった本の感想とか、付き合いがある程度深くて、お互いの好みをわかってる関係じゃないと出てこないようなお話を、さらっとなさるんですね。「僕はこれがすごくいいと思うんだ。最近これを読んで本当に感動した」ということを、10分前に名刺を交換したばかりの私に、率直にお話しになるんです。

そこでもう、なんていうんでしょうね、つかまってしまうというんでしょうか。私もとっても嬉しくなって、「そうですよね。では、こちらはお読みになりました?」という話を次々にしていけるんです。そういうところが、構えないで自然で魅力的な方だなって思います。会うたびに、この思いは深くなりますね。

―― 村の会議でも、私たち助役に対して、「もっと胸に飛び込んでこいよ」みたいな感じで話されるので、こちらとしてもありがたいと思うことがあります。

そうですね。半月ぐらい前に、打ち合わせをしながらお食事をさせていただいたときにも、「あぁ、この人は、前から来る物事に対して、がっぷり四つに組む人だな」と思いました。「これはなんだろう? なぜだろう?」と、ある物事にとりつかれたら、真っ正面から探求していきますよね。

たとえば「小林秀雄って、誰? ちょっと気になる」と思ったら、手当たり次第に本を読んで、お墓参りもして……って、すごく攻めますよね。ちょっと調べて回り道をして後ろから攻めるみたいな小賢しいことはしないで、その人に関係するあらゆるものに正面からぶち当たって、自分の頭の中にその人の像を結ぶっていう感じで。

また、「(この人は)自分とは合わないんじゃないかな」と思っていた人に対しても、「会ってみたらすごくいい人だった」とか「この人、こんなにいい小説書いてたんだ」といったことに気づいたら、意見を180度変えることができるんですよね。いいものはいい、ということをはっきり口にすることができる。恥ずかしがることなく、「とてもよかった。こんな作品を書く人だとは思わなかった。感心した」と言える。こういうことができる人って、実は少ないと思うんです。その神経の細やかさというかアンテナの鋭さが、やっぱりものを作る人だなぁ、と思います。

―― お芝居の脚本とかパンフ作りとかでもそうですけど、なにがあっても自分からは逃げないですよね。

自分の着地点がちゃんと見つかるまでやってしまうと言うか……。妥協しないですよね。それはやっぱり、ものを作る人の条件なのかなって思います。「小林秀雄は、いまもまだまだ追っかけてますよ」っておっしゃっていますし。

―― ホントに人に入り込みますよね。著作を読みあさったり、ゆかりの地へ出かけてみたり。馬力があるなぁと思います。

どこどこの文学館に、だれだれが残したものがあるって聞くと、そこへ旅行がてらに行ってみた、といったことも多いですよね。別に誰が頼んだわけでもなく、それを見て何か書いてくださいよ、ということでもないのに、どんどんどんどん見に行く。あれはすばらしいですよね。昔の文学青年という感じです。

(作家として)書く立場になると、明治、大正、昭和初期の作品とかって、なかなか読まなくなってしまうことも多いようなのですが、原田さんの場合は書きながらそういう人たちを常に見ているという姿勢が面白いなぁ、と思います。もっと年輩の作家さんならまだしも、原田さんぐらいの年齢ではめずらしいことですね。

いまは文学青年でなくても小説を書くという時代ですので、こうして文学青年の心をピュアに持ちつつ、自分も書いて……という、それだけで結構不思議な気持というか、「あぁ、この人は本当に好きなんだな」ということをひしひしと感じます。で、それをまた明るく楽しそうに話すので、「じゃぁ、私も読んでみます」とか思っちゃうんですよね。そのお話だけで書評になっちゃうというか。いい書評のひとつの形として、「(書評対象の)本を読んだときよりも面白い」というのがあるのですが、原田さんのお話はそういうところがあります。原田さんに「これが面白い」って言われると、本当に読みたくなるんですよ。

―― 村長によると「ただの一夜」は、書いていた期間が長かったということでしたが。

いただいたときに、すごくいい小説だと思いましたし、長い時間をかけて書かれたものだという話を後で聞いて、納得しました。若いときのちょっとヒリヒリするような感覚を思い起こさせる、原田さんならではの描写が丁寧だし、原田さんもそうですけど、やっぱりこの小説のなかの男性も物事に正面から取っ組み合うみたいなところがあって、そこが痛いような感じもして。若い時代の一夜を描いた小説ですけれども、味わいがあって、いい小説だと思いました。

弊社に、原田さんと長いつきあいをさせていただいているS藤という者がいるのですが、「ただの一夜」は、そのS藤に何作かまとめてどーんとくださったなかの一本だったんです。「劇場の神様」と「ただの一夜」と、「夫の眼鏡」もそうだったと思うんですけれども。ではどの雑誌に掲載しようかという話になって、「劇場の神様」は純文学の「新潮」に、短篇の方は「小説新潮」に、ということになったんです。ですので、書かれた経緯とかを知る前に、もう私の手元にあったんです。だから他の編集の方のような、原田さんの原稿を待つときの喜びや苦しみ、悲しみとかを、実は私はまだ知らない(笑)。

私はもともと原田さんのファンでしたから、生まれたての、しかもこんなにいい小説がこの手にということで、個人的にもすごく感動しました。ゲラにして原田さんにお見せしたときに、「いやぁ、あらためてゲラで読み直してみたけど、いいよね、この小説」とおっしゃって、私も自分で書いた小説みたいに「いいでしょう、いいでしょう」とか言ってて(笑)。いま、私の一番の幸せな記憶です。このあと、他の編集の方がやっていらっしゃるみたいに、なかなかシビアな戦いをすることになるのかもしれませんけれども、この幸せな記憶があるかぎり大丈夫です。

―― いまは特に約束しているような原稿はないのでしょうか。

明確にここまで、というお約束はしてないんですけれども、「いつでも舞台は用意してありますので、書いてください」というお願いはしています(笑)。ただ、小説の場合、締め切りを設定しないと書かないという方もいらっしゃいますけれども、特に原田さんのような方法でものを作られる方の場合は、私たち新潮社が欲しい小説はそういうプレッシャーのなかからは生まれないのかな、とも思っているので、いまは生まれ落ちる瞬間を待っているという感じです。

―― 今度舞台化される「劇場の神様」を読まれたときの感想は、いかがでしたか。

エポックメイキングというか、原田さんにとって大事な作品になるんじゃないかな、という感じがしました。何と言ってよいのか、失礼かもしれませんけど、他の小説とはまた違うというか、原田さんのなかにもすごく熱気があって、芯の通り方が違うような気がしました。後でお伺いしたら、「書き上げることに対して祈りにも似たものがあった」ということです。

ものすごく爆発的に読まれるとかベストセラーになる、みんなが夢中になるという作品ではなくて、そういうことは抜きにして、これは原田さんがいま書かなければならなかった作品なんだなと思いました。舞台になるということで、私も早く観たいです。

―― これからの村長に、「こういうものを書いて欲しい」という希望は、ありますでしょうか。

そうですね……(じっくり考えて)人を書いて欲しいです。ひとりの人を深く書いてほしいですね。

2004年12月3日 収録